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卒業生からのメッセージ
 
 

株式会社ジャックス 取締役上席執行役員 尾形茂樹さん(1984年 経済学部卒)

 創立60周年、大変おめでとうございます。

 私は1980年4月に高崎経済大学に入学し、下小塙にある悠学荘という共同アパートに下宿しました。数年前高崎を訪れた時に悠学荘は健在だったので、現在もあると思います。玄関を出ると左手に榛名山を臨み、毎日眺めていました。今でも大好きな山で、私の執務室には榛名神社の御札が掛けてあり、毎朝拝礼しています。

 学生時代は、高校時代と同じく硬式テニス部に在籍しました。入部以来4年間、朝から夕方ボールが見えなくなるまでテニスに明け暮れていました。1年生の都留文戦からレギュラーになり、4年生の秋の大会まで出場しました。中でも、2年生の時にA級に昇格し群馬選手権に出場する資格を得たこと、3年生の時に北関東五大学大会で13年ぶり2度目の優勝を果たし、その夜、悠学荘に部員が集まり、夜中まで祝勝会を行ったことが最大の思い出です。テニスからは当たり前のことですが、「努力すれば強くなる」ことを学び、その後の人生の糧になりました。

 さて、学生の本文である勉学の方ですが、今まで触れてきたようにテニス三昧であったため、ほとんど勉強しませんでした(社会人になり苦労しました)。学生の方々にお伝えしたいのは、やはり勉強は必要であるということです。企業が求めているのは、本質を基に論理的に議論し物事を決定・行動できる人材です。本質の基になるのは所謂リベラルアーツです。まさに、大学の講義で学ぶもので、ゼミでの討論は論理的に議論する訓練になります。さらに、企業のグローバル化が進む中、英語力は必須となっています。

 振り返れば、あっという間の4年間でしたが、現在の学生の皆さんには有意義な学生生活を送って頂きたいと思いますし、母校高崎経済大学が「学生がとにかく研鑽を積む、活気がある」という風土文化を持つ大学になることを願っております。

 

愛媛県統計課統計分析係長 松井彰さん(1985年 経済学部卒)

 創立60周年おめでとうございます。

 私が入学したのは昭和56年です。上越新幹線は未開通で、上野から高崎線に乗って高崎駅に近づくと、日本製粉の大きなサイロと隣のレトロな建築物が見えてきて、歴史が古く産業の盛んな土地だなあという印象を持った記憶があります。この建築物を設計したのが愛媛県にゆかりのある木子七郎氏であることを知ったのは後年のことで、同氏が設計した愛媛県庁本館はいまだ現役です。

 当時も、全国から学生が集まり、年齢層も幅広かったせいか、実に個性的な方が多く、公私にわたり様々な点で刺激を受けました。それまで見たこともなかったパーソナルコンピューターを「ASCII」という分厚い雑誌を愛読する下宿の後輩に教わり、時代の変化を予感したのも懐かしい思い出です。また、繭の季節サークルの伝統行事だった、製糸工場での徹夜のアルバイトも印象深く、深夜の工場で汗を流した経験からか、富岡製糸場の世界遺産登録を誇らしく感じています。

 就職については、具体的に考えていませんでしたが、第二外国語のロシア語で親しくなった同級生から、一緒に公務員試験の勉強をしないかと誘われたのがきっかけで現在に至っております。ちなみに、この同級生は霞が関のキャリア官僚になっています。

 大学は、当時から、図書館で各地の地方紙を購入し自由に閲覧することができるようにするなど、地方から入学してきた学生に対する心配りがあふれていました。60年の歴史の中で作り上げてきた環境を今後も創造し続けていってほしいと思います。

 

思高(おもだか)建設株式会社 代表取締役社長 江畑晴彦さん(1993年 経済学部卒)

 創立60周年、誠におめでとうございます。

 私が入学した昭和63年は、世の中も大学も大きく変化する時期に当たりました。大学1年で元号が変わり、三扇寮の廃止や図書館の建替え、からさき食堂の移転、マルフクの閉店などもその頃です。今はなきスズキ自販柳沢自動車や満福亭・火の鳥・ビデオルーカスは全盛期でした。バブル経済の末期でしたから、週末の中央銀座や柳川町は肩がぶつかり合う程の人混みです。当時から高経大生は、アルバイト・学園祭行事・卒業生の就職などで、地元高崎市に溶け込んで存在をアピールしていました。

 福岡県から上京し、風呂・トイレ・台所共同6畳ひと間の下宿から始まった私の大学生活は、毎晩のように誰かの部屋に集まり、同期や先輩と呑み語り明かす日が続きます。酒に関しては、呑み方から始まりスマートな戻し方・泥酔者の取り扱いや二日酔い対策も先輩方からしっかりレクチャーされました。

 居酒屋などで誰かが酔いつぶれると、みんなで下宿まで運び、枕脇に洗面器を置いてトイレットペーパーを敷き詰め、横向きで寝かせて見守る、という動きが仲間内では徹底されていました。

 もう一つ欠かせない車について、当時は激安の中古車が普及していて、街中でも車を見ると高経大生かどうか判別できた程です。私も親に内緒で1年生の終わりに運転免許を取得し、在学中に5台の車を乗り継ぎました。合計しても40数万円という破格でした。ボロでも大切にしていたマイカーで、夜中に思い付きで新築の東京ドームや湘南海岸を目指したり、心霊スポット巡りをしたことが、昨日のように思い出されます。

 18歳からの数年間という大変多感な時期をここで過ごせたことは、私の人生に於いて一番大きな要素です。高崎経済大学ならでは…と言える学内外の多様な人々に触れつつ、勉学に励んだことで今の自分が作り上げられたのは間違いありません。

 

株式会社群馬銀行 支店長代理 田中千里さん(2005年 地域政策学部卒)

 2017年に高崎経済大学が創立60周年を迎えることに、心よりお祝い申し上げます。

 大学で過ごした4年間は、学生時代の中で一番濃密な時間でした。自宅通学のため、生活費に困ることはありませんでしたが、学費は自分で賄うことが親との約束だったため、授業と部活動の隙間時間を見つけては、アルバイトを詰め込んだ生活を送っていました。今考えてみれば、少々無茶なシフトの組み方をしていたなと思います。でも、不思議と辛いと思ったことがありません。それはきっと、本当にこの学部で学びたいと思っていたし、周りの友達も何か足りない環境で頑張っていたからだと思います。幸い、私が在籍していた頃の地域政策学部は一学年200人弱だったので、なんとなく皆顔見知りで、何かと協力し合えたように思います。

 学生生活は、全てにおいて仲間の協力無しには成立しませんでしたが、特に英語の授業やお昼事情は身に沁みました。当時、必修の英語は受講クラスの争奪戦で、英語が苦手な私は受講権をなかなか獲得できませんでした。権利が無ければ授業も受けられず、単位を落としてしまうシステムに苦しめられましたが、見かねた友達からの協力で単位を落とさずに済みました。

 お昼ごはんは、節約のため専らお弁当。下宿生の友達から、色々な食材を買えないという意見があり、5、6人で各自が一品のおかずを人数分と、自分のご飯を持ち寄ることを誰かが考案しました。おかずの内容は内緒にしていたので、全員が卵焼きだった日は、お腹を抱えて笑いました。みんな味付けや形が異なっていて、結局完食。卵焼き事件のおかげで、地域や家庭によって皆違うことを実感しました。講義で、地域性の違いを学んでいましたが、仲間との何気ない生活から体験できることは、この学部の特権だと思います。

 住みやすいコミュニティを作ることに興味があって入学しましたが、社会に出てみて、大学4年間の生活そのものが自分の考える理想だったのかなとつくづく感じています。在学している皆さんにとっても、たくさんの経験と思い出をつくるコミュニティでありますように願っています。

 

人事院事務総局総務課広報室勤務 山田大介さん(2013年 地域政策学部卒)

 2017年、高崎経済大学が創立60周年を迎えられることに、心からお慶び申し上げます。

 私は4年前に本学を卒業し、現在は人事院という機関で働いています。この時期、霞が関の駅から職場に伸びるイチョウ並木を歩いていると、銀杏の独特な香りを感じ、ふと2号館前の並木道や学生時代の思い出が頭をよぎります。

 私は、地元や社会に貢献したいという思いから、本学の地域政策学部に進学しました。47都道府県から集まった学友たちに刺激を受け、専門的で具体的な学びができたと感じています。

 在学時は、特にゼミ活動に力を入れて地方自治に関する研究を行っていました。ゼミの課外活動では多様な職種や立場の方とお会いする機会にも恵まれ、魅力的な方々とお会いする度、より多くの人々の活躍を支えたいという気持ちが強くなっていったことを覚えています。また、ご指導いただいた教授からは、何事も鵜呑みにせず「常に疑問を持つこと」の重要性を学び、それが物事を考える際の軸になりました。社会人になってからも、この軸に立ち返ることが多々あります。

 このような多くの出会いを通じて、それまで漠然と抱いていた思いが少しずつ形となり、結果として国家公務員の道を歩むことになりました。本学での4年間の学生生活は、私の現在や今後を形成する、とても貴重で充実した時間であったと感じます。

 また、勉学以外にも、放送研究会の仲間とともに映像作品を制作したことや三扇祭のステージ企画の音響を担当したこと、授業のカリキュラムを工夫して時間を作り、映画館に通ったことなども良い思い出です。本学が迎える60年の歴史の中には、学生たちのこのような沢山の思い出が詰まっていることを思うと、本当に素晴らしいことだと思います。

 最後になりましたが、関係各位並びに高崎の地に感謝申し上げるとともに、本学の今後ますますの発展を祈念し、お祝いの言葉といたします。